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何も起こらない日々の日記


by nekomama44
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NHK俳壇 辞世の一句

ゲスト:嵐山光三郎、金子兜太

鈴木真砂女 すずきまさじょ(1906-2003)
戒名は真砂女でよろし紫木蓮
(かいみょうは まさじょでよろし しもくれん)
銀座の路地裏で小料理屋を営みながら96歳まで活躍。良い意味での悪女、エロティックさが「紫木蓮」に出ている。

松尾芭蕉 まつおばしょう (1644-1694)
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 
(たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる)
俳諧を求めた。
大阪で病没する際、弟子に書き取らせた句。自虐的な句で積極性がないとも言える。枯野は、幽界もしくは求めて得ざる世界とも取れる。

与謝蕪村 よさぶそん(1716-1783)
しら梅に明る夜ばかりとなりにけり
(しらうめに あくるよばかりと なりにけり)
俳諧に遊んだ。
もう白梅に明ける夜だけになってしまった。残されたのはこれだけだ。蕪村も弟子と同じように弟子に囲まれた最後で、その際この句を出してきた。芭蕉は枯野、蕪村は象徴詩として芭蕉を意識し鮮やかな白梅を出した。夜明け時の白梅に納得している強い象徴度の句。

小林一茶 こばやしいっさ (1763-1827)
やけ土のほかりほかりや蚤さわぐ
(やけつちの ほかりほかりや のみさわぐ)
俳諧で生活をしようとした。
住んでいた土蔵が焼け蚤が騒いでいる。ありのまま、気取りがない。自然の生活体。
花の陰寝まじ未来がおそろしき
(はなのかげ ねまじみらいが おそろしき)
こちらも辞世の句とも言える。最後に作った句。花がきれいだからと言ってうっかり寝たら死んでしまいそうだ。だから寝たくない、という生への執着がある句。

正岡子規 まさおかしき(1867-1902)
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
(へちまさいて たんのつまりし ほとけかな)
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
(たんいっと へちまのみずも まにあわず)
をとゝひのへちまの水も取らざりき
(おとといの へちまのみずも とらざりき)
病床の子規が、自分の死期を悟り母や妹、高浜虚子を呼び、自分がこれらを書き、筆を投げ捨てて置いたと言われる。ここまで来た自分の情勢に即して状況を書いた写生とも言える。ただし子規の場合はたえず病状は悪くいつ死んでも良い状態だったので、辞世の句と本人が意識していたかどうかはわからないが、結果的に絶筆となった。19日に死に、14日の朝は気持ちが良い朝で、虚子に書かせたりしていた。子規はこの状態が続けば良いと思っていたようだ。

種田山頭火 たねださんとうか(1882-1940)
もりもり盛りあがる雲へ歩む
(もりもりもりあがる くもへあゆむ)
漂白の俳人山頭火が自分が今、生きている姿を句にしている。生命力に溢れている。
秋の夜や犬から貰つたり猫に与へたり
(あきのよや いぬからもらったり ねこにあたえたり)
どの句を辞世の句とするのかは、ファンによって異なる。これもユーモラス。

尾崎放哉 おざきほうさい (1885-1926)
春の山のうしろから烟が出だした 
(はるのやまのうしろから けむりがでだした)
破滅思考で死にたくて仕方がなかったやけっぱちの漂白の俳人(実際に放浪したのは晩年3年間)。インテリの破滅型。最晩年の小豆島での放浪の句は、一つ一つが辞世の句といった所。

芥川龍之介 あくたがわりゅうのすけ (1892-1927)
水洟や鼻の先だけ暮れ残る
(みずばなや はなのさきだけ くれのこる)
自殺の遺書の中にあったもの。死の際、自分にいちゃもんをつけているダンディーさがある。鼻が自慢だった芥川らしい句でもある。

萩原朔太郎 はぎわらさくたろう (1886-1942)
行列の行きつくはては餓鬼地獄
(ぎょうれつの いきつくはては がきじごく)
昭和十七年、戦争に対する絶望や反抗がある。また朔太郎は芭蕉が好きだったので、「旅に病んで」を受けているようにも見える。開き直り時代に抵抗している。詩では、自分の気持ちをストレートに表現することはせず、象徴的に出す人なので、最後にこの句のように自分を出した句を作ったことは驚きだ。

西東三鬼 さいとうさんき (1900-1962)
秋の暮大魚の骨を海が引く
(あきのくれ たいぎょのほねを うみがひく)
水のように漂泊した人だが、癌の手術をした後、深まった。自分も大魚と同じように海の奥へと引っ張っていかれるのではないか。宇宙にまで繋がった大きな句。

壇一雄 だんかずお (1912-1976)
落日を拾ひに行かむ海の果て
(らくじつを ひろいにいかん うみのはて)
晩年の句。悲しみと交わって晩年を送っていた人。ポルトガルから帰ってくる時に読んだもの。哀愁と直情がある。ポルトガルの民謡ファドを聞く思い。

辞世の句とは、
和歌の世界ではこれが辞世の和歌だと格好をつけるが、俳句の場合は構えがない。芭蕉は自分の句は全部辞世の句だとも考えていた。後の人が、その作者を語るために選ぶ面もある。
by nekomama44 | 2005-04-02 22:13 | TV番組