スタジオパークからこんにちは 小室等&鈴木大介
2005年 02月 19日
鈴木大介は、個人的に武満本人と会ったのは、偶然コンサートで隣同士の席になった一回だけ。このコンサートは武満作曲のものの初演で、武満は席でスコアを広げていた。(作曲家が初演の際、客席でスコアを広げるとは意外だった。なんだか先生がオーケストラの採点をしているようだ。)鈴木は武満が怖い人かと思い、声をかけるのをためらったが、実際は怖くはなかった。
小室は武満とは親しく、酔っ払いのおじさんとか話すと宇宙人とか、親しいからならではの発言が飛び出す。武満は酔うと一緒に歌を歌ったり、ピアノでジャズを弾いたりした。小室は武満からポップスを習ったという。小室は武満に、「フォークなんて単純な音楽をやっている」と言うと、「そういうことを言うんじゃない。」とたしなめられた。武満は、クラシックと歌謡曲とでどちらが上とか下といったことは考えておらず、良い音楽はどのジャンルでも良いのだと信じていた。
1996年の武満死後、発見された楽譜に親交のあった谷川俊太郎が詞をつけた。信州のミヨタで仕事をす武満を偲ぶ「MI・YO・TA」を二人が披露。
忘れられないからどんなことでも
いつまでも新しい今日の陽のように
小室は、1971年世界歌謡祭グランプリ曲「出発の歌」(by上条恒彦と六文銭)の作曲、レコード会社の社長業(泉谷しげる、井上陽水、吉田拓郎と立ち上げた)と活躍。本人は、周囲が”うっかり”社長にしてしまった、と語る。これは誰を社長にするか8人で投票した結果、8票が小室だった。(つまり自分も入れていた。)
隣に歌おうというとすぐに歌えあえる連中が傍にいた、いつでもスタンバイOKだった、というのがここまでフォークをやってきた小室の根底。また、もうすぐ還暦で(もっと年くっているのかとばっかり思っていた!)自然トレモロが手にかかってきた。今後、自力で出来なくなっても介護してくれる人があったら現役で、新しい歌を作りながらやっていきたい。
「雨が空から降れば」(別役実作詞、小室等作曲)
しょうがない、雨に日はしょうがない♪
小室とハーモニカ:八木のぶおの演奏。
鈴木大介は、「武満徹 マイ・ウェイ・オブ・ライフ 弦楽のためのレクイエム」(ベルリン国立歌劇場の演出家演出)でギターを演奏する。指揮はケント・ナガノ。
鈴木は武満の「ワルツ」とトゥーリナの「ファンタジア・セビリアーナ」を演奏。最後は二人で黒澤の「どですかでん」のテーマをギター演奏。これがとても秀逸。武満の映画音楽CDをもっと聴きたくなった。