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何も起こらない日々の日記


by nekomama44
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トラップ一家 サウンド・オブ・ミュージックの続き

トラップ一家についての続き。映画では家族で音楽コンクールに出るのはナチの手から逃れる方便だったが、実際は(トラップ一家は実在)、世界恐慌で一家のメインバンクが倒産、一家は破産してしまう。そして家の敷地を礼拝堂に貸していたが、そこでのミサの合唱を依頼され家族の合唱は評判になり、ヴァスナー神父の指導の下ザルツブルグ音楽祭で優勝する。それから家族だけで構成されている合唱団というのがうけ、ヨーロッパ各国に演奏旅行してまわるが、1938年3月ナチスドイツによるオーストリア併合、一家はヒットラーの誕生日に歌を歌うことになる。しかしピクニックに行くふりをし鉄道で北イタリア亡命、9月には渡米。(映画ではアルプスを越えてスイスに亡命するが、実際はザルツブルグはドイツと接しスイスとは国境を接していない。)

生活のため一家はアメリカでも公演し大成功するが、一家のビザ延長を米国移民局に認められず出国、ヨーロッパで活動を行う。1939年にアメリカに戻り大陸横断コンサート・ツアーを成功させる。1941年にバーモンドに農場を買うが1947年には大佐は肺がんのため67才で死亡。残された家族は1948年には米国市民権を取り1956年までトラップ一家合唱団として各地を公演した。マリアは一家の話を「The Story of the Trapp Family Singers」として出版。これが大評判となりドイツでは「菩提樹」「続菩提樹」と映画化、その後アメリカで「サウンド・オブ・ミュージック」としてミュージカル、映画化された。

一家はその後先の農場をトラップ・ファミリー・ロッジとしてオープンする。このロッジは80年には火災で焼失してしまうが、83年には再建、現在も営業している。マリア(当時22歳)と大佐(当時47歳)は1927年に結婚(マリアと大佐との年齢差は25年!)し、映画では結婚後すぐオーストリアを脱出しているが実際は亡命まで10年以上経っている。二人の間には子どもが3人できた。総勢10人の子ども!非常に精力的な大佐だった。マリアは長生きで87年に82歳で亡くなっており、大佐と共にロッジの裏手に埋葬されている。

ところでトラップ大佐をナチが執拗に陣営に引き込もうとしたのは、トラップ大佐が義和団の乱で活躍し勲章を得、また第一次世界大戦ではオーストリア・ハンガリー海軍の潜水艦U-14の艦長で、2ヶ月の間に3万トンの船舶を撃沈し国の英雄となりマリア・テレジア十字勲章と男爵の地位を得た軍人だったからだ。

映画ではナチ=悪、トラップ一家=善、のコンセプトだが、実際はそんなに単純ではなかった。ナチのオーストリア併合は、国民投票で99%の賛成をもって可決、オーストリア国民はナチに抵抗どころか大歓迎し、ヒットラーの歓迎集会を開いたりしているほどだった。つまり「サウンド・オブ・ミュージック」は反戦映画といわれるが、ナチの積極的加担者だったオーストリアがナチの被害者であったとするプロパガンダ、宣伝映画でもある。さらにトラップ大佐が支持した時のオーストリアのシュシュニック政権は、オーストリア・ファシズム政権で、イタリアのムッソリーニの支持を後ろ盾に民主勢力を弾圧していた。結局、大佐は自分の支持するファシスト政党がナチによって敗北したため亡命したというところらしい。こういった歴史的背景からか、映画がオーストリアで公開した時は非常に評判が悪かったようだ。
by nekomama44 | 2005-01-09 22:11 | 映画