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2005年 02月 18日

世界美術館紀行 フランス・ヌードの革命 オルセー美術館Ⅱ

完全な美の曲線。私はひれ伏してしまう。(ロダン)
女性の胸とお尻がなかったら僕は画家にならなかった。(ルノワール)

古来ヌードは美の象徴だった。今回は題名の通りヌード特集だが、いつもと違って「美術館にはそこにしかない云々」の冒頭ナレーションがなく、最後まで怪しげな雰囲気が満載。しかも、NHKの教育で、し女性のヌード映像(かなり暗い照明だが)、怪しい音楽、パリの現在のキャバレーのショーでのダンサーとその写真まで登場。ヌード写真も出てくる。ラストは今回紹介したヌードの絵が出てくるが、「オランピア」へのカメラの揺れるクローズアップはエロチック。芸術を紹介している上品な番組だが、NHKとしては結構ぎりぎりラインまで冒険している。
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女は聖なるヴィーナスである

1.カバネル 「ヴィーナスの誕生」 1863
カバネルは19世紀半ばに人気のあった画家の一人。海の泡からヴィーナスが生まれる場面を題材にしたヌード。ほんのり赤みをおびた肌、体をよじる官能的ポーズに潤んだ流し目。この絵は国立アカデミー主宰の絵画展サロンで大評判となり、皇帝ナポレオン3世が購入した。

2.シャセリオー 「テピダリウム」 1853
古代ローマの都市ポンペイの浴場で体を乾かし休息する女性の歴史画。この絵の女達のポーズは遺跡にあった壁画から引用したもの。19世紀に画家の評判を左右したのが、サロンと呼ばれる公式展覧会での評価だった。このような公的な場にヌード作品を発表するためには、これが歴史画や神話の場面であるといった説明が必要だった。ヌードには慎み深さと神聖さが要求され、そこに理想を描くことが求められた時代だった。そうすることで裸体は現実の生活からは遠い、聖なる物として高まると考えられた。

3.アングル 「泉」 1820-1856
甕を持つ女性は、生命の象徴とされた泉を擬人化したもの。アングルが理想としたのは、人間離れした古代彫刻のような肌だった。聖なる場面のヴィーナスは、上品なサロンに出席することを許されたマナーを守る女性だった。

女は女である

4.ギュスターヴ・クールベ 「泉」 1868
19世紀後半、暗黙の了解が破られる。画壇の反逆児と呼ばれるクールベ(1819-1877)がアングルの「泉」に対抗して描いた作品。力強い足、しわのよった豊満な体は生々しい。当時の女性はコルセットで腰を強く締め付けており、この絵の女性のように蜂のように腰がくびれた女は実際に存在した。現実の女を描いたクールベは、理想化されていないヌードを描いたとして、醜悪、低俗だと非難と嘲笑を浴びた。フランス東部の田舎町オルナンの農家に生まれたクールベは、画壇から異端児扱いされていた。クールベは天使を描かない画家だったが、その理由がふるっている。「天使なんて見たことないからさ!いるならここに連れてきてくれ。」彼は、目に見える現実しか描かない写実主義を宣言したのだった。

代表作「オルナンの埋葬」(1849-1850)は、親戚の葬儀に参列した親戚を等身大に描いたもの。この絵の正式名称は「オルナンのある埋葬の歴史画」というが、このタイトルが歴史画とあるにも関わらず、英雄や貴族を描かずに無名市民を描いていることから物議を醸した。クールベはこの絵で古い絵画の伝統を埋葬し、現実を描こうとした。

クールベのアトリエからは当時、流通しだしたヌード写真が見つかった。クールベはヌード写真を熱心に集めていた。彼は写真が現実を映す鏡だとすぐに理解し、裸は裸にすぎずそこに性器があるならばそれを描くだけだ、と当時の現実離れした肉体しかなかった西洋絵画に反発した。つまりクーリエのリアリズムの行き着いた先がヌードだった。彼の写真の中に「泉」と似たポーズのものがあった。神話でも歴史画でもない裸の女が19世紀後半、ようやく現実の人間として姿を見せた。

5.マネ 「草上の昼食」 1863
エドゥアール・マネ(1832-1883)は、いつも仕立ての良い服を着た生粋のパリジャンで、裸体画の革命をさらに推し進めた。マネは近代都市に生まれ変わりつつあったパリを毎日散歩し、パリの内臓を描くと称し目にした光景をスケッチした。マネにとって絵の題材は現実の生活の中にあった。ある日、マネはセーヌ河畔で遊ぶ男女を見て新しい構想を思いついた。それが、「草上の昼食」(1863)だ。(この絵はカバネルの「ヴィーナスの誕生」がサロンでもてはやされた年に落選した絵だ。)これはパリ郊外の森でピクニックする裸の女と、正装をした男だ。マネは当時のパリの人々が一目でこの場所がどこかわかる所でヌードを描いた。クールベでさえ裸体画の舞台を明白にしなかったのだが、マネは日常生活の中に初めて裸の女を登場させた。だらしなくちらかった果物やパン、奥には下着姿で水浴びする女がおり、絵を見た人々は秘密パーティーに出くわしたかのようにときめいた。

イタリア・ルネサンスの名作、ジョルジョーネとティツィアーノの「田園の奏楽」(1510頃)も同じように、田園に裸体の女性と楽器を奏でる男達がいるが、こちらは古典が下敷きとなっており、リュートを弾く音楽家を見守る芸術の神ミューズとして裸婦が描かれている。マネは、ラファエロの銅版画「パリスの審判」にある3人の裸体の格好を念頭に、神話の題材をパリの現実の光景の中に再生しようとした。だがマネの作品は反道徳的だと非難される。が、落選した作品の展覧会の入場者の方が本家よりも多かったのは、この作品を見ようという人たちで一杯だったからだ。

マネの「草上の昼食」は、黒い服の男に対比する白い女の肌、彼女への光の効果で観客の目はそちらに集中する。そしてこちらに視線をあびせる彼女と目があい、観客と彼女の間にエロティックな関係が生ずるように仕組まれている。また絵を見た人たちは、画家とモデルとの関係を想像せずにはいられない。観客は、マネや友人たちが実際に不道徳なパーティーを行ったと想像した。

聖なる女はクールベにより現実の女となり、マネによって日常の光景の中に生きはじめる。

私はすぐそこにいる

6.マネ 「オランピア」 1863
意味ありげな視線を投げかける女、どこかの屋敷の一室で花束を侍女に持たせているその姿は、娼婦を連想させるものだった。事実オランピアは当時の娼婦のよくある通り名だった。モデルとなったのは女優を夢見る下層階級の少女で、実在する女性が娼婦のヌードとして描かれた。この作品も古典絵画ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」(1538頃)を下敷きとしている。ヴィーナスの傍らで貞淑と従順を象徴していた犬を、マネは女性の性器を象徴する黒猫に変えるという悪戯をしている。さらに黒猫の逆立つ尻尾は昂ぶった性欲をイメージさせた。

「オランピア」は「草上の昼食」を超える大スキャンダルとなった。ル・モンド・イリュストレ誌(1865年5月13日)では「かつてこれ程おぞましく非常識な絵画が展示されたことはない。女達は顔を背け、男達は悪態をつき続ける。」と酷評。

写真家のアントワーヌ・プーペル氏は語る。「彼女は裸であって裸でないのだ。ブレスレット、足のサンダルが性的な暗示となっており、完全な裸より一層エロテッィックだ」と。髪には媚薬効果があるといわれていた蘭の飾り、ネックレスは客のために着飾ったイメージを生み、片方が脱げたサンダルは純潔の喪失を示している。マネは小物を巧みに使い、見るものの想像を掻き立てている。

視線の魔術師マネは、「草上の昼食」のデッサンでは女は男友達の方を向いているが、完成した絵ではこちらを向かせている。オランピアのスケッチでは斜め前方の遠くを見ているが、完成品では挑発するようにこちらを見ている。

「オランピア」は、ヌード表現の自由への扉をこじ開けた作品だ。この革命的な絵はフランス画壇ではなかなか認められず、19世紀終わりにアメリカに売却されそうになる。しかしマネを支持した画家たちの尽力でフランスに残った。かつて「オランピア、気取っているがこいつは娼婦!死体のような白い肌、早く風呂で身体を洗え!」と言われたこの絵画は、現在オルセーの1階特等席に陳列され、「近代のヴィーナス」と呼ばれている。
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by nekomama44 | 2005-02-18 23:17 | 美術
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